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竹田こもちこんぶ(子持ち昆布)さんの目は、バセドウ病の影響

竹田こもちこんぶさん、私の大好きなTikTokerの一人です

随分まえから定期的に動画を見ていますが、気になっていたのが竹田こもちこんぶさんの目です

目力があると言えばそうですが、何か違和感を感じていました。

すると、ある日のTikTok動画で、その理由が解りました
聞いていて、涙が止まりませんでした

目次

竹田こもちこんぶ(子持ち昆布)さんの目は、バセドウ病の影響です

ご自身のTikTokで7回に分けて話をしているので、そちらを紹介します
動画内で話した内容も、文字お越ししておきました(なるべく忠実に書き起こししていますが、間違えがあったらご了承ください)

竹田こもちこんぶさんの自白1

動画内で話した内容

みんなは、これまで自分の人生が覆るような、そんな苦しい経験をしたことがある?
私はね、それまで何不自由なく生きてきて、まだ本当の痛みを知らなかった21歳

甲状腺機能亢進症、バセドウ病とう病気にかかったんだ

甲状腺ってさ、のどぼとけの下くらいにあって、新陳代謝を促したりしてホルモン分泌する臓器なんだけど、それが肥大化する病気。それが、甲状腺機能亢進症。

大学2年の時に部活で走ってたらさ、急に動悸息切れがしだして、走れなくなっちゃったのね
それで母に話したら、直ぐに甲状腺の病気だと解ったの

なぜなら私のおばあちゃんも同じ病気で、それは遺伝する病気だったから

竹田こもちこんぶさんの自白2

動画内で話した内容

人間っていうのはさ、この世に産まれた時から理不尽なものと戦っていかなきゃいけないんだよね

甲状腺の肥大化によって甲状腺ホルモンが多く分泌されて、体の代謝が高まる病気甲状腺機能亢進症

そういや私もそれまで、食べても食べても太らなかった
始めは薬で治療していたんだけど、そのうち薬で散らせなくなって手術して甲状腺を切除することになったのね

その時すでに私の喉は甲状腺の肥大化によってパンパンに腫れていて薬でホルモンの値を正常にしていたから、今度は逆にどんどん太り出してた

そして、私の眼球は吐出していった

私は顔が変わったと、たびたび言われるようになった

21歳。

気が付いたら私はとうてい自分の力では這い上がれないほど深い穴に落ちていた

竹田こもちこんぶさんの自白3

動画内で話した内容

きっと全ては改修される

バセドウ病になって、私が一番苦しんだのは眼球の吐出

今でもそうだけど、当時はもっとひどかったのね

「目ん玉落っこちそうだよ」
「何でいつも驚いているの」
「昔と顔違うね、整形した?」

悪意のない言葉ほど鋭く、片っ端から私を切りつけていった
恋の悩みや進路のように誰かに話せる悩みじゃなかった

若くて浅い21歳は、この醜い苦しみをさらす勇気がなかった
だから、はやくおばさんになりたかった

私が唯一本当の感情をさらしたのは母だった

私は狂ったように家で喚き散らしたり、外に飛び出して家の周りをグルグルまわったり
自分でも自分をコントロールできなくて、あらん限りの苦しみを全て母にぶつけていた

竹田こもちこんぶさんの自白4

動画内で話した内容

その苦しみはきっといつか武器に変る

母は私から絶対に目を離さなかった

私と一緒に家の周りをグルグル回ったり、沖縄旅行に連れて行ったり
一番大きなケーキを食べさせたり、抱きしめたりした

抗がん剤で髪の毛がなくなっても、まっすぐに生きている女の人の話をした
彼女が誰かと対等でいられるのは、教養や知識や感受性があるからで外見ではないということ

あの頃、どれほど花の言葉が私に届いたか。。

もしかしたら、ほとんど響かなかったかもしれない

だけど今になって、その言葉を思い出すのは私も母になったからだろうか
私を穴から引き揚げたのは、精神科の先生でもなく友達でもなく母でした

竹田こもちこんぶさんの自白5

動画内で話した内容

いつか希望を絶望を凌駕する

母の手を伝って外に出られるようになった私
内面を養うんだ

そうすれば、この苦しみから解放される
それでもまた、穴に落ちてしまう日もあった

今日大丈夫だと思っても、明日にはもうダメだと思う
その繰り返し

そんな風に希望と絶望を繰り返していた

そして私は、表参道にある伊藤病院という日本でもっとも甲状腺疾患に詳しい病院へ移り、手術をすることになった

手術室へ運ばれる際に母が

「みやちゃん」

と言って私の手を握った

病気になって泣いていたのは、いつも私のほうだったけど
この時だけは母が泣いていた

そうか、私の苦しみは、母の苦しみなんだ
親子は繋がっているんだ

竹田こもちこんぶさんの自白6

動画内で話した内容

その痛みは原動力だ

手術は局所麻酔で行われた
つまり手術中も意識があるってわけ

手術室はでBZの曲が流れていた
若い私への先生の計らい

痛みこそないけれど、体にメスが入っていく感じや首の皮を尋常じゃない力で引っ張られる感じ
何かをブチブチと切っている音

そして、首筋を流れる温かい血

私は怖くなって、看護師さんの手を壊れるほど強く握った

「大丈夫よ。もう少しで終わる。大丈夫」

私はこれまでのことを思った

生きることが、こんなに苦しいと知らなかったこと
選んでもいない病気で苦しんだこと

それならいっそ、自分で選んだことで苦しみたい

そうだ!好きなことをやって苦しもう!

竹田こもちこんぶさんの自白7

動画内で話した内容

その痛みが、いつか誰かを救う

大学3年生。私は部活の仲間と劇団を立ち上げることにした

あれから20年
私は挫折したけど、劇団はまだ続いている

こんな風に当時の気持ちをさらけ出せたのは、おばさんになってから
だって、自分が一番大事だったから

弱い部分を隠すことで自分を守ってきたから

今は私の目の前で泣いたり笑ったりしている息子もいつか私の知らないところで泣くだろう

それが成長というものだから

でももしも、息子が1人で立ち上がれないほど深く傷ついた時、私は息子を救うカードを持っている

立ち上がれるまで寄り添い、守っていきたいと思う。私の母のように

以上で終わりです

そして最後に

みんなへ。ありがとう

こう締めくくっています

まとめ

竹田こもちこんぶさん
育児ネタでTikTokでは大人気

でも、その背景には、こんなにツライ思いをされてきたんだと思うとより一層興味が深まります

私も23歳の時に、膵臓の手術を経験しているので余計かもしれません
理不尽な辛い思いは、なぜ?の繰り返しだったのを思い出した

でもその痛みが誰かを救うのなら、良かったのかもしれないと思う

竹田こもちこんぶさん、ありがとう

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